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John 3 "Born Again"

さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来ていった。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることをしっています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるようなしるしは、だれも行うことができません。」イエスは答えて言われた。「まことに、まこと、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。」人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは、新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(ヨハネの福音書3章1−8節)

二章では、前の週イエスは、神殿を駆け巡り、むちで動物を追い出しや両替人の机をひっくり返した。もちろん、宗教支配者は、イエスに激怒した。私は、ニコデモはイエスと和平を結びにきたのだと思う。彼は、議会のメンバーで、そして代表として彼は夜、密かに調停を結びに来たのだ。議会の目からいえば、イエスは急進的で、改革家であった。しかし、ニコデモは、老いて賢く、以前幾人かの怒った青年を見てきた。

たぶん、彼は、神殿がビジネス的になり、それが正されるべきだとイエスに同意した。 彼は、イエスに近づき、オリーブの枝を与えることから始めた。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることをしっています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるようなしるしは、だれも行うことができません。」 もちろん、イエスは年老いた人の友好的な態度を受け入れ、そして、彼らは、議会にかけられず、問題からこの真摯な若者を守ることができるなんらかの理解達することができただろう。

しかし、イエスは、和平調停を無視した。そのかわり、イエスは、問題の核心に迫った。みてのとおり、イエスの良さを考えるだけでは十分ではないのである。私たちの心に平和がないとき、神と和平を話すのでは十分ではないのである。イエスは言った。まことに、まこと、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 これは、考えてみるとある程度、制限されています。どんなに、あなたが良くても、どんなに献金しても、どんなに祈っても、どんな多くの集会に出席しようと、どんなに多くの人を助けても、あなたは、神の国を見つけられないでしょう。それは、どんなに、金持ち、貧乏、黒、白、黄、あるいは茶色、神の国を見ることはないことを意味している。新しく生まれかわらなければ。中から変わらなければ、神と和平を持つことはできないのである。

ニコデモは驚いた。彼は、彼の人生のすべてを神に従い、命令を守り、そして彼に課された伝統行事をすべてして過ごしてきた。彼は、すべての人から、長老、支配者として尊敬されていた。これは、無駄なことだったのか。外側からは、ニコデモは、完璧に落ち着いていた。彼は、よく治め、代表するユダヤ人教師であった。しかし、内側は、すべての人と同じように、人生を通じて、もがいていただれも知らない罪があった。はじめは、彼は、年にしたがって消えるもので、若さのゆえによるものだと思っていた。しかし、年にしたがって良くなるどころか、彼の弱さは、ただ悪くなり、こころにきざまれていく一方であった。その習慣は、深く、眉毛のラインのように深く掘り込まれていた。ニコデモは、真に変わるという希望をあきらめていた。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」

ニコデモは正しいのである。自分を変えることは不可能なのである。私は、すでに新年の抱負に対して、苦労している。私は、義父が3度タバコ吸うのをやめたのを見ている。育児の専門家は、子供の人生は、初めの2年が肝心だと言う。なぜなら、だいたいの性格がそこで形成されるからである。胎から離れれば離れるほど、私たちがだれであるかを変えるということは難しくなるのである。

私たちは、それを隠すことにある程度うまくするかもしれない。あるいは、荒い角を滑らかできるかもしれない。だが、内側は、変わっていないのである。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」私たちが何をしようと、この人生を形成するのは、すべては私たちの内側による結果である。 

あるとき、イエスは、弟子たちに言った。「こころにたまったものは、その口が話す。」それは、私たちがするすべてのことにあてはまる。もし、私たちのこころがにがみ、あるいは憤りで満ちていたら、私たちがする行動、私たちが言う言葉、さらに運転の仕方、ゲームの遊び方は私たちの心を反映している。もし、私の息子がレゴブロックで遊んでいて、彼がそれで城、宇宙船、あるいは、町をつくろうと、それは、レゴなのである。私の娘がクレヨンを手にして、紙に色ぬりするとき、彼女が何を描こうとクレヨンなのである。私たちにとってもそうなのである。それがどんなに壮大になろうと、豊かで、有名で、良くて、信心深く、どんなに私たちの心の醜さを隠そうと、肉は、肉なのである。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。神の国は、霊の国で、そこに入るには私たちも霊的でなければなりません。問題はどうやってです。私たちは、肉を霊みたいに着飾るのではうまくいかないことを知っています。しかし、私たちは、かわりに使える材料がないのです。私たちは肉なのです。それだけではなく、わたしたちが霊に対する見方の最善の試みは本当の霊のひどい真似だけなのである。わたしは、ある日、息子とアイススケートをしたときに感じました。私が上手にすべる人をうらやまし気に見て、私も彼らの様にあんなに軽やかに優美おどれることを望みました。練習(1時間)で、私は、だいぶうまくなりました。日が暮れるころには、私は、上手に滑れるようになりました。(私の意見)しかし、私の妻は、横から見て、私がどんなにみっともないかを見て笑っていました。ある夜、私たちは、本当のプロをテレビで見ました。私は、彼らがどうやってポイントを付けているのか理解出来ませんでした。どこか近くで、彼らのレベルでスケートをさせる。彼らは、全く違う世界の人間で、私とは全く異なっていました。

もし、私が自分で神の国に近づく手立てがないのなら、そしたら、どうすれば私は、生まれかわることができるでしょう。イエスは言った。「水と御霊で生まれなければ」そこには、2つの部分がある。ひとつは、簡単で、そして神の部分は、難しいのであった。私たちの部分は水です。ユダヤ人にとって、水は、悔い改めの象徴であった。

バプテスマのヨハネは、彼らの罪を悔い改めさせるために、人々を水に導いた。それは、私たちが出来る最善のことである。それは、新年の抱負、あるいは、タバコをやめるようなことである。私たちは、私たちの人生がどうしようもなくて、私たちが、考えていたほど良くはなれない、私たちは、完璧ではなく、そしていくつかの改善に使えることを認める。 しかし、これは十分ではない。なぜなら、私たちがそれで人生を行くには、弱いのである。私たちは、幾度も妥協し、そして幾度も、悔い改める。ある人たちは、人生の同じところをグルグルと回っているのである。なぜなら、彼らは、常に悔い改めながら、そして、罪に再び陥っているからである。悔い改めることは簡単だが、しかし、有効的ではない。しかし、私たちが出来る最善の方法である。難しい部分(一番効果的)は、神からなされることである。

ニコデモは答えていった。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。まことにまことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。あなたがたは、わたしが地上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。だれも天に上った者はいません。しかし、天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」神は、実に、その一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。ひかりが世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行うものは、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。(ヨハネの福音書3章9−21節)

難しい部分は、神によってなされた。私たちが、たとえ悔い改めて、罪を犯さないと約束しても、私たちは、霊的ではないから、霊的に成功するわけがない。だれも、天国へ行くことができないので、神は、天から私たちのもとへ来られた。イエスは、ニコデモに言った。神は、実に、その一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。旧約聖書では、モーセが荒野の中、イスラエル民族を先導したという不思議な話がある。

ある一時、人々は、疲れ、がっかりし、モーゼと神に反論した。彼らの反抗が原因で、多くの人が、毒蛇に咬まれて死んだ。彼らの失敗から分かるように、人々は、モーセのもとに来て、言った。「私たちは、私たちが、主とあなたに反論したという罪を犯しました。」モーセは、彼らに祈り、主は、赦しモーセに青銅の蛇を作り、柱において、もし誰かが蛇に噛まれたら、彼らがすることは、ただそれを見上げることである、そうすれば、いやされると言った。イエスは、モーセがその蛇を見上げたように、イエスもまた見上げられなければならないと言った。そして、イエスはそれだった。 イエス・キリストは、十字架の柱にかかげられて、私たちの罪の身代わりに死なれた。だれでも主を信じるのなら、滅びることなく永遠の命を持つのである。これは、神の御慈悲なのである。イスラエルの民は、荒野で何度も文句を言ったのだが、神は、慈愛に満ちておられた。神は、ただ彼らすべてを滅ぼすことができた。しかし、そのかわりに、神は、救われる方法をお与えになられた。それは、私たちと同じことである。 わたしたちが、するべきことはただ、悔い改めることである。主に向かって、「私たちは、罪を犯しました。」そして、信じること。イエス・キリストにあって、救われる方法を与えてくださったのである。

人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。イエス・キリストは、霊によって生まれた。しかし、イエスは、私たちのために肉になってくださった。それだけではなく、イエスは、十字架にその肉体を打ち付けられて、そして、私たちの罪となってくださった。イエスは、私たちの罰、すべてを被り、私たちが生きるよう死なれた。イエスが神の子であると信じるなら、すばらしい奇跡がおこります。あなたの古い自分は、イエスとともに十字架につけられた。あなたの罪は、イエスとともに十字架につけられて、死んだのである。そして、それの代わりになる内側にあるなにかが、出てくる。イエスがあなたとともに住んでいるのである。イエスの霊があなたの心にうまれ、あなたは真に生まれかわったのである。あなたは、新鮮な、スタートをもちたいですか。前にわたしが言ったように、私たちの部分は簡単です。あなたの罪を悔い改め、イエス・キリストを信じなさい。彼の役割は、私たちが霊で生きるように死んでくださったという難しいことだったのです。

もし、私たちの役割が楽で、その結果がすばらしいものなら、どうして、私たち皆、悔い改めて、信じないのでしょうか。イエスは、霊的な生活を光と比べます。あなたが、光に近づけば、人は、あなたが誰であるか、何をしているか分かるでしょう。しかし、あるときは、私たちは、人が見えないような暗い所にとどまる。ニコデモは、夜中にイエスに会いにやってきた。それは、他の人から見られないためである。彼は、イエスと話しているところを人々に見られることを恐れていた。それは、人々がまちがった考えを持つかもしれない、あるいは、あとで、イエスに反論するようなことがあるのなら、彼は、偽善者と見られるからである。ニコデモは、暗闇に隠れていたのである。この福音書の最後で、イエス・キリストが十字架に上げられたとき、ニコデモは、暗くなるまでイエスのところに来るのを待つことはなかった。ひかりの中、だれでも見えるところで、ニコデモは、やってきて、墓にイエスの体を収めた。ニコデモは、闇からひかりのもとに出てきた、だからあなたもできるのである。あなたは、悪いことをさらけだし、よいものにそれを変えたいと願っていますか。もしそうなら、わたしと祈ってください。「私たちは、罪を犯しました。神様、助けてください。私たちには、赦しが必要です。私たちは、新しい人生が必要です。私たちは、あなたの霊が必要です。私たちは、イエスが、あなたの子で、死からよみがえられて、今日も生きていることを信じます。主イエス様、十字架に私の罪を付けてくださったことを感謝します。わたしの心の中に来てください、そして、再び生まれかわるようにしてください。

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